堺市博物館 常設展示室内から
「岸谷勢蔵(1899〜1980)は現在の堺市堺区大町東1丁の木綿卸商の家に生まれ育った、生粋の堺人でした。 宿院高等小学校を卒業後に、大阪精華美術学院で絵を学んでいます。教科書の挿絵の執 筆や市嘱託として堺市の広報にも力を尽くしました。昭和19(1944)年に堺市の依頼に より市中心部である宿院の建物疎開前の景観を描いた疎開地区記録が、戦前の堺の町の 景観を知ることができるものとして有名です。その他にも、当時の古老から明治時代の 堺の風俗を聞き取って絵と文章で記録した風物画や、終戦後に金岡に進駐した部隊に勤 務時に描いたアメリカ人の肖像など、20世紀の堺の歴史を知る上で貴重な資料となる 作品を多く遺しています。」(展覧会テキストより)
「岸谷勢蔵(1899〜1980)は現在の堺市堺区大町東1丁の木綿卸商の家に生まれ育った、生粋の堺人でした。 宿院高等小学校を卒業後に、大阪精華美術学院で絵を学んでいます。教科書の挿絵の執 筆や市嘱託として堺市の広報にも力を尽くしました。昭和19(1944)年に堺市の依頼に より市中心部である宿院の建物疎開前の景観を描いた疎開地区記録が、戦前の堺の町の 景観を知ることができるものとして有名です。その他にも、当時の古老から明治時代の 堺の風俗を聞き取って絵と文章で記録した風物画や、終戦後に金岡に進駐した部隊に勤 務時に描いたアメリカ人の肖像など、20世紀の堺の歴史を知る上で貴重な資料となる 作品を多く遺しています。」(展覧会テキストより)